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競馬のトリビア G1級レースを勝った無敗馬
 変則三冠を達成した牝馬のクリフジの生涯成績が11戦11勝だったと書きましたが、他にG1級レースを勝った無敗馬について調べてみました。
1. トキノミノル
 戦績:10戦10勝
 主な勝ち鞍:ダービー,皐月賞,朝日杯3歳S
 1950年函館でデビュー、8馬身差の圧勝。5戦5勝で迎えた朝日杯3歳S(現フューチュリティS,当時は中山1100m)でもイッセイに4馬身差をつけ、東の3歳王者に。 翌年4月に復帰し、2戦を消化して迎えた皐月賞,ダービーをレコードで制覇(2着はいずれもイッセイ)。10勝のうち7勝がレコード,2着馬につけた差は合計43馬身と、戦後の競馬界ではずば抜けた存在でした。 しかし、ダービーの17日後に破傷風を発症し、死亡。早すぎる死でした。なお、2月に行われる共同通信杯には「トキノミノル記念」の冠が付けられています。
2. マルゼンスキー
 戦績:8戦8勝
 主な勝ち鞍:朝日杯3歳S,日本短波賞
 ニジンスキー産駒の持込馬。当時は、外国で種付けされた後に輸入されて産まれた「持込馬」にクラシックレースの出走権がなく、主戦だった中野渡騎手が「28頭立ての大外枠でもいい。賞金なんか貰わなくていい。 他の馬の邪魔もしない。この馬の力を試したいからマルゼンスキーに日本ダービーを走らせてくれ。」と語ったエピソードはあまりにも有名。 裏街道の日本短波賞(現ラジオNIKKEI賞)では、後の菊花賞馬プレストウコウに7馬身差をつけ、8戦で2着馬につけた差は合計61馬身と圧倒的に強い馬でした。 しかし、4歳夏に屈腱炎を発症し引退。テンポイントやトウショウボーイとの対戦は実現しませんでした。 種牡馬としてはサクラチオノオー(ダービー),スズカコバン(宝塚記念),ホリスキー,レオターバン(菊花賞)などを輩出しました。
3. フジキセキ
 戦績:4戦4勝
 主な勝ち鞍:朝日杯3歳S,弥生賞
 今では、サンデーサイレンス産駒の後継種牡馬と言った方が有名でしょうか。サンデーサイレンスの初年度産駒で初G1を勝った馬です。 弥生賞も快勝で、ナリタブライアンに続く2年連続三冠達成の期待が高まりましたが、屈腱炎を発症し、皐月賞を迎えることはありませんでした。 この年のクラシックレースは、皐月賞はジェニュイン,ダービーはタヤスツヨシ,オークスはタンスパートナーと3頭のサンデーサイレンス産駒が制し、サンデーサイレンス時代の幕開けとなりました。
4. アグネスタキオン
 戦績:4戦4勝
 主な勝ち鞍:皐月賞,弥生賞,ラジオたんぱ杯3歳S
 父はご存じサンデーサイレンス。母方はアグネスレディー−アグネスフローラの良血で、デビュー前から期待が大きい馬でした。 新馬戦を3馬身差で勝つと、ラジオたんぱ杯3歳Sではジャングルポケット,クロフネの3強対決を制し、弥生賞ではマンハッタンカフェ(4着)にも勝利。 皐月賞でもダンツフレームやジャングルポケットの反撃を封じ、三冠達成への期待が高まりました。しかし、皐月賞後に屈腱炎を発症し、引退。 その後、アグネスタキオンにかなわなかった馬たちがめざましい活躍を見せたため、この馬の評価が上がることになりました。 全兄にダービーを制したアグネスフライトがいますが、兄よりも高い評価を受けているのは間違いないでしょう。
 調べてみると、クリフジを入れてたったの5頭でした。シンザンも4回2着がありますし(19戦15勝)、シンボリルドルフも2着と3着が1回ずつ(国内15戦13勝)、最近ではディープインパクトがいますが、有馬記念2着があります(国内13戦12勝)。 もちろん、ここで挙げた4頭が古馬になっても走っていたら連勝がストップしていたかもしれません。 しかし、トキノミノルを除いて、産駒が活躍していることを考えると、いずれも時代を代表する競走馬であったことは間違いないと思います。