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競馬のトリビア ナタの切れ味シンザン
 戦後、菊花賞まで連を外すことなく三冠を達成した馬は3頭います。シンザンとシンボリルドルフとディープインパクトです。 いずれも、その時代の最強馬と呼ばれた馬ばかりで、他馬を寄せ付けることはありませんでした。 まずは、元祖最強馬シンザンについてです。
 シンザンは父ヒンドスタン,母ハヤノボリの仔として、1961年に松橋牧場で生まれ、その後荻伏牧場で育成されました。 その後、シンザンは武田文吾厩舎に入厩しました。当時は馬房数制限がない時代で、武田厩舎には80頭ほどの競走馬がいました。 同期には父母にクラシックホースをもつオンワードセカンドなどがおり、シンザンは厩舎の中で3〜4番手という評価でした。 また、中尾謙太郎厩務員は、持込馬のオンワードチェスを担当する予定でしたが、先輩厩務員から譲るように言われ、代わりに担当することになったのがシンザンでした。
 シンザンのデビューは1963年11月。ちょうど東京オリンピックを次の年に控え、高度経済成長に沸く中でのデビューでした。 鞍上は栗田勝騎手。調教の段階から、1960年に皐月賞とダービーを制したコダマより強いと確信したそうです。 新馬戦は危なげない競馬で4馬身差の快勝。続くオープン,3歳中距離特別,オープンと連勝してスプリングSへ駒を進めるのでした。
 スプリングSでは、阪神3歳Sを制して世代最強と言われたウメノチカラと対戦しましたが、これを相手にせず完勝。 これまでシンザンの強さには懐疑的だった武田師も「これほどの大物とは知らなかった」と詫びた話は有名です。 ライバルとの再戦となった皐月賞でも他馬を寄せ付けず、まずは一冠達成となりました。 武田師は「コダマはカミソリ、シンザンはナタの切れ味。ただし、シンザンのナタは髭も剃れるナタである。」との名言を残しています。
 シンザンはダービーには直行せず、2週前のオープン特別に出走しました。 レースを使いながら馬を仕上げていく武田師のスタイルなのですが、結果は2着と初黒星を喫することになりました。 その後も大レース前に前哨戦を叩くスタイルは変わらず、栗田騎手と衝突することになります。 しかし、本番のダービーではウメノチカラとの壮絶な叩き合いを制し、二冠達成となりました。
 夏は北海道へ放牧に出さず、京都競馬場で調整を行いました。しかし、この年は猛暑で、シンザンは重度の夏負けを起こしてしまいました。 10月になっても体調は戻りませんでしたが、武田師のスタイル通りレースを使われながら調整されることになり、その結果10月のオープン特別,2週前の京都杯いずれも2着に終わりました。 誰もが心配した菊花賞でしたが、ようやく体調が戻り、ライバル・ウメノチカラをねじ伏せ、戦後初の三冠馬になったのでした。 その後は疲労が抜けずに有馬記念を回避、翌年に備えることになりました。
 旧5歳となったシンザンは、天皇賞(春)を目指して調整される予定でした。 しかし、シンザンは生まれつき蹄が薄く、爪を怪我していたのです。 そこで「シンザン鉄」と呼ばれる特殊な蹄鉄が開発されました。 もしこのシンザン鉄がなかったら、古馬になってからのシンザンの活躍はなかったと言っても過言ではありません。 そこには、スタッフの文字通り血のにじむような努力があったわけです。
 結局シンザンは天皇賞(春)には間に合わず、宝塚記念を目指すことになりました。オープン特別を二度使われ、いずれも快勝。 続く宝塚記念は不良馬場になりましたが、先攻抜け出しで後続の追随を振り切り、優勝しました(宝塚記念は八大競走ではありませんので、○冠にはカウントしません)。 夏は再び京都競馬場で過ごしましたが、この年は猛暑とはならず、前年のような夏負けの兆候は見られませんでした。 そして、秋はオープン特別,目黒記念と連勝。天皇賞(秋)では加賀武見騎手のミハルカスが大逃げを打ちましたが、直線で捕らえ、遂に天皇賞馬となったのでした。
 次なる目標は有馬記念となるわけですが、ここで問題が。 武田師はダービーの時と同様、有馬記念の前にオープン特別を使うことにしたんですが、栗田騎手が猛反発してサボタージュ。 急遽、武田博騎手が騎乗しましたが、2着に敗れました。 栗田騎手はやけ酒で病院に搬送される事件を起こし、その後シンザンに騎乗することはありませんでした。 なお、栗田騎手は47歳で早逝してしまいましたが、晩年の深酒が原因の一つと言われています。
 有馬記念は結局松本善登騎手が騎乗することになりました。 レースは天皇賞(秋)と同様、ミハルカスが逃げる展開となりましたが、普通に走っては勝てないと鞍上の加賀騎手は何と最後の4コーナーで外に持ち出しました。 シンザンに馬場の悪い内を走らせる作戦です。しかし、シンザンはさらに外から追い込んできました。 スタンドから観戦していた観客からはシンザンの姿が一瞬見えなくなり、馬場とスタンドの間にあるお堀に落ちてしまったのでは、と心配になったほどです。 外ラチ沿いを駆け上がってきたシンザンは、ミハルカスをしっかり捕らえ、引退に花を添えたのでした。
 シンザンの生涯成績は19戦15勝。15勝の平均着差は1.8馬身。最大でも4馬身でレコード勝ちはなし。 これは、ゴール前できっちり交わしていれば良いという栗田騎手の美学と、無駄な走りをしない馬の特性を示していると言えるでしょう。
 引退後は谷川牧場で繋養され、皐月賞,菊花賞,天皇賞(春)を制したミホシンザンなどを輩出しました。 シンザンは1996年に亡くなりましたが、サラブレッド最長寿記録を更新する35歳3ヶ月(旧36歳)の大往生でした。
シンザン全成績
 1963/11/13 3歳新馬    (京都芝1200m)14頭立て1着 1.13.9 栗田51
 1963/11/30 オープン   (阪神芝1400m) 5頭立て1着 1.25.7 栗田51
 1963/12/14 3歳中距離特別 (阪神芝1600m) 8頭立て1着 1.40.0 栗田55
 1964/ 1/ 4 オープン   (京都芝1600m) 5頭立て1着 1.42.3 栗田53
 1964/ 3/29 スプリングS (東京芝1800m)14頭立て1着 1.51.3 栗田55
 1964/ 4/19 皐月賞    (東京芝2000m)24頭立て1着 2.04.1 栗田57
 1964/ 5/16 オープン   (東京芝1800m)12頭立て2着 1.50.8 栗田57
 1964/ 5/31 日本ダービー (東京芝2400m)27頭立て1着 2.28.8 栗田57
 1964/10/10 オープン   (阪神芝1800m)12頭立て2着 1.51.6 栗田60
 1964/11/ 1 京都杯    (京都芝1800m) 6頭立て2着 1.52.1 栗田60
 1964/11/15 菊花賞    (京都芝3000m)12頭立て1着 3.13.8 栗田57
 1965/ 5/29 オープン   (阪神芝1600m) 7頭立て1着 1.37.7 武田59
 1965/ 6/13 オープン   (阪神芝1850m) 6頭立て1着 1.53.7 武田59
 1965/ 6/27 宝塚記念   (阪神芝2000m) 6頭立て1着 2.06.3 栗田59
 1965/10/ 2 オープン   (阪神芝1850m)10頭立て1着 1.54.0 武田57
 1965/11/ 3 目黒記念(秋)(東京芝2500m)11頭立て1着 2.42.2 栗田63
 1965/11/23 天皇賞(秋) (東京芝3200m)12頭立て1着 3.22.7 栗田58
 1965/12/18 オープン   (中山芝2000m) 5頭立て2着 2.05.5 武田60
 1965/12/26 有馬記念   (阪神芝1600m) 8頭立て1着 2.47.2 松本56