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競馬のトリビア 平成の最強馬ディープインパクト
 日本の競馬はバブル期に欧米から大量の種牡馬が輸入されたことにより、勢力図が大きく変わりました。 最初の変化は、ノーザンダンサー系の種牡馬ノーザンテーストの輸入です。 自身は仏フォレ賞(G1)勝ちがあるのみですが、1982〜1988年と1990〜1992年の計10年でリーディングサイヤーになるなど、種牡馬として大成功を収めました。 G1馬だけでも、ダイナガリバー,アンバーシャダイ,ギャロップダイナ,シャダイアンバー,ダイナカール,アドラーブル,シャダイソフィア,ダイナアクトレスがおり、 アンバーシャダイからはメジロライアン,さらにはメジロブライト,メジロドーベル、ダイナカールからはエアグルーヴ,さらにはアドマイヤグルーヴが輩出されています。 ノーザンダンサー産駒には、ニジンスキー,リファール,ダンチヒ,ヌレイエフ,サドラーズウェルズなど名種牡馬が多く、世界の主流血統と言えます。 その後は、ご存じサンデーサイレンス。 自身は米三冠レースのうち、ケンタッキーダービーとプリークネスSを制し、イージーゴアとの叩き合いは伝説と化しています。 同年のブリーダーズCクラシックも優勝し、翌年日本に輸入されました。 初年度産駒のフジキセキ(1994年朝日杯3歳S)からマツリダゴッホ(2007年有馬記念)まで14年連続G1制覇中。 G1馬は43頭にのぼり、1995から2007年まで13年連続でリーディングサイヤーでした。
 ディープインパクトは、シンボリルドルフの三冠からさらに18年が経った2002年にノーザンパークで生まれました。 父はサンデーサイレンス、母はヨーロッパで活躍したノーザンダンサー系のウインドインハーヘアです。 当歳時にセレクトセールで金子真人氏に7000万円で落札され、2歳になって池江泰郎厩舎に入厩しました。 池江厩舎と言えば、メジロマックイーンやステイゴールドを育てた厩舎です。
 デビュー戦は2004年12月。後の重賞馬コンゴウリキシオーを相手にもせず、4馬身差の快勝でした。 年が明けて若駒Sでは、最後方から直線一気で5馬身差。これで人気が全国区に。 弥生賞は2歳王者のマイネルレコルトや京成杯馬アドマイヤジャパンと対戦。 着差はクビ差でしたが、鞍上の武豊騎手は鞭を使っておらず、かえって強さが際立つ結果となりました。 皐月賞ではスタート直後に躓き、あわや落馬のシーンもありましたが、直線で他馬をごぼう抜き。 このとき、武騎手は初めて「走っているより飛んでいる感じだった」と語り、口取式ではシンボリルドルフの岡部幸雄騎手と同様、一本指を立てました。 迎えた日本ダービーは、何と単勝支持率が73.4%。これは、ハイセイコーの66.7%を大きく上回るものでした。 ハイセイコーの場合は、タケホープに負けてしまったのですが、ディープインパクトに敵はいませんでした。 スタートは出遅れたものの、あっさり5馬身差をつけ、無敗で二冠を達成しました。秋になっても死角はなく、初戦の神戸新聞杯も快勝。 菊花賞では好スタートから逆にひっかかってしまい、アドマイヤジャパンに騎乗する横山典弘の捨て身の逃げもあって一瞬ひやっとしましたが、 終わってみれば2馬身差の快勝、シンボリルドルフ以来無敗の三冠馬が誕生。20年前と同じように三本指を高らかに上げる騎手がいたのでした。
 そして誰もが勝利を信じて疑わなかった有馬記念。道中はいつもより折り合いがついている感じで、安心して見ていたファンは多かったに違いありません。 しかし、この日はいつものように飛びませんでした。先攻するハーツクライを捕らえきれず、まさかの2着。 ちなみに、無敗で有馬記念を制した馬はこれまで一頭もいません。シンボリルドルフは有馬記念を勝ちましたが、その前のジャパンCで敗れています。 そういう意味では、三冠馬にとって菊花賞の次のレースが鬼門なのかもしれません。
 4歳になったディープインパクトは、当然のように天皇賞(春)を目標に調整されることに。 阪神大賞典では1年先輩の菊花賞馬デルタブルースも寄せ付けず、快勝。 続く天皇賞(春)でも出遅れて最後方からレースを進めるも、3コーナー手前からスパートし、4コーナーでは早くも先頭、そのまま押し切るというすごいレースで勝ちました。 淀の長距離戦では、3コーナー坂の下りからのロングスパートはタブーなのですが、それでも勝ってしまったのはミスターシービーの菊花賞とディープインパクトの天皇賞だけでしょう。 そういう意味でも三冠馬はやっぱり凄いです。
 天皇賞(春)の快勝で、秋の凱旋門賞遠征が決まりました。宝塚記念は完全にディープインパクトの壮行レース。 この年は阪神競馬場の馬場改修により京都競馬場で代替開催され、午前中からの雨で稍重のコンディションでレースが行われましたが、 当然のように1番人気に支持され、当然のように勝って凱旋門賞に向かうことになりました。
 凱旋門賞は、1920年から行われている伝統のレースで、シーズンの終盤に開催されることから、各国のクラシックホースや古馬の有力馬が集まるヨーロッパチャンピオン決定戦として位置づけられています。 このレースは、これまでにヨーロッパ調教馬以外が勝ったことはありません。実はエルコンドルパサーの2着が最高なんです。 また、3歳馬が56kg,4歳以上が59.5kg(牝馬は1.5kg減)と、斤量に3.5kgの差があることが特徴で、3歳馬有利のレースと言われています。 実際、1999〜2008年の10年間で3歳馬の8勝と古馬を圧倒しています。挑戦するディープインパクトは4歳で、ヨーロッパ調教馬ではありません。 これだけで相当のハンディを背負っているわけですが、当時のワールドサラブレッドレースホースランキングでディープインパクトは世界1位でしたので、 ディープなら偉業を成し遂げてくれるのではないか、という期待を持って応援していたファンは多かったのではないでしょうか。 NHKが凱旋門賞を初めて生放送したことからも、社会的な注目を集めていたことがうかがえます。
 ディープインパクトはスタートすると、いつもとは違い前から2〜3番手の先行策を取りました。 ヨーロッパの方が日本より馬場が柔らかいため、レースペースが遅かったのかもしれません。 最後の直線では一旦先頭に立ったものの、やはりヨーロッパの壁は厚かったのか、レイルリンクや牝馬のプライドに交わされ、3着に終わりました。 ディープでもダメなのか。そんなため息が日本全国から聞こえてきそうでした。 しかし、衝撃を与えたのはその後でした。なんとディープインパクトから禁止薬物が検出され、失格となってしまったのです。 検出された薬物は気管支治療に使われるイプラトロピウムで、日本では禁止されていないそうですが、 ヨーロッパでは「フランスでは体内に自然に存在し得ない物質は全て禁止」ということになっており、結果的にはこれを見逃した調教師に責任があるように思います。
 思わぬ形で名誉が傷つけられてしまったディープインパクトでしたが、日本国内でのお咎めはなしということで、ジャパンCや有馬記念に出走できることになりました。 ジャパンCではハーツクライとの再戦となりましたが、ハーツクライが喘鳴症を発症してしまい、あっけなくディープの勝ち。 有馬記念では天皇賞(春)で見せたロングスパートを再び仕掛け、生涯最高の走りで前年の雪辱を果たしました。
 サンデーサイレンスは2002年にフレグモーネから蹄葉炎を発症し、早逝してしまいました。 しかし、その年に生まれたディープインパクトが無敗で三冠馬となり、失格になったとは言え、凱旋門賞にもチャレンジしました。 ディープインパクトはまさにサンデーサイレンス産駒の総決算でした。 ディープの初年度産駒のデビューは2010年。そのとき、我々にどんな「インパクト」を与えてくれるのでしょうか。
ディープインパクト全成績
 2004/12/19 2歳新馬       阪神芝2000m  9頭立て1着 2.03.8  武豊55
 2005/ 1/22 若駒S(OP)   京都芝2000m  7頭立て1着 2.00.8  武豊56
 2005/ 3/ 6 弥生賞(G2)   中山芝2000m 10頭立て1着 2.02.2  武豊55
 2005/ 4/17 皐月賞(G1)   中山芝2000m 18頭立て1着 1.59.2  武豊57
 2005/ 5/29 日本ダービー(G1)東京芝2400m 18頭立て1着 2.23.3  武豊57
 2005/ 9/25 神戸新聞杯(G2) 阪神芝2000m 13頭立て1着 1.58.4  武豊56
 2005/10/23 菊花賞(G1)   京都芝3000m 16頭立て1着 3.04.6  武豊57
 2005/12/25 有馬記念(G1)  中山芝2500m 16頭立て2着 2.32.0  武豊55
 2006/ 3/19 阪神大賞典(G2) 阪神芝3000m  9頭立て1着 3.08.8  武豊58
 2006/ 4/30 天皇賞・春(G1) 京都芝3200m 17頭立て1着 3.13.4R 武豊58
 2006/ 6/25 宝塚記念(G1)  京都芝2200m 13頭立て1着 2.13.0  武豊58
 2006/10/ 1 凱旋門賞(仏G1) ロン芝2400m 9頭立て失格 -.--.-  武豊59.5
 2006/11/26 ジャパンC(G1) 東京芝2400m 11頭立て1着 2.25.1  武豊57
 2006/12/24 有馬記念(G1)  中山芝2500m 14頭立て1着 2.31.9  武豊57