牡馬と互角に闘った名牝たち
牝馬で最強なのはどの馬か? これは人に分かれるところでしょう。
日本ダービー,オークス,菊花賞を勝った戦前の無敗馬クリフジと言う人もいれば、有馬記念を制したトウメイ、桜花賞,オークスで計18馬身差をつけたテスコガビー、
牝馬三冠を達成したメジロラモーヌやスティルインラブという人もいるでしょう。
しかし、ここでは敢えて平成の時代に牡馬と互角に闘った名牝たちを取り上げることにしました。まず真っ先に挙がるのが元祖女傑ヒシアマゾンでしょう。
阪神3歳牝馬SでG1を勝ちましたが、外国産馬だった彼女にクラシック出走権はありませんでした。
当時はNHKマイルCもありませんでしたから、春はニュージーランドT4歳Sを目指すという牡馬混合の裏街道を目指すことになりました。
圧巻だったのが追い込み馬のページでも紹介したクリスタルC。
逃げたタイキウルフも最後の直線で決して脚色が衰えていたわけではないと思いますが、まるで彼の脚が止まったように見えた剛脚は強烈でした。
結局クイーンCからエリザベス女王杯まで6連勝で、あとは同期の三冠馬ナリタブライアンとの対決が残っているだけでした。
そのナリタブライアンとは有馬記念で対戦することになりました。このレースには他にもライスシャワーやサクラチトセオー,ネーハイシーザーなど蒼々たるG1馬も出走していました。
レースは三冠の勢いそのままにナリタブライアンの完勝だったのですが、これに食らいついていったのが牝馬のヒシアマゾンで2着に入ったのでした。
年が明けると、ヒシアマゾンはアメリカに遠征しました。サンタアニタH(G1)に出走予定でしたが、レース前に脚を痛めてしまい、出走は叶いませんでした。
帰国後の初戦に選ばれたのが、当時は夏の中京で2000m戦として行われていた高松宮杯。しかし、久しぶりのレースで引っかかってしまい、思わぬ形で逃げてしまったことで5着に敗れました。
秋になるとようやく本来の力を取り戻し、オールカマー,京都大賞典と連勝。そして、ジャパンCでは惜しくも外国馬ランドに一歩及びませんでしたが、ナリタブライアンらを抑えて日本馬最先着を果たしました。
有馬記念以降は残念ながら成績が下降気味となってしまいましたが、久々に出走したエリザベス女王杯で2位入線(進路妨害で7着に降着)となり、最後の意地を見せたのでした。
ヒシアマゾン全成績
1993/ 9/19 3歳新馬 中山ダ1200m 11頭立て 1着 1.13.7 中舘53
1993/10/24 プラタナス賞(500) 東京ダ1400m 11頭立て 2着 1.26.3 江田照53
1993/11/13 京成杯3歳S(G2) 中山芝1400m 9頭立て 2着 1.22.9 中舘53
1993/12/ 5 阪神3歳牝馬S(G1) 阪神芝1600m 15頭立て 1着 1.35.9 中舘53
1994/ 1/ 9 京成杯(G3) 中山芝1600m 8頭立て 2着 1.34.2 中舘55
1994/ 1/30 クイーンC(G3) 東京芝1600m 13頭立て 1着 1.35.3 中舘55
1994/ 4/16 クリスタルC(G3) 中山芝1200m 14頭立て 1着 1.08.5 中舘53
1994/ 6/ 5 ニュージーランドT4歳S(G2)東京芝1600m 9頭立て 1着 1.35.8 中舘54
1994/10/ 2 クイーンS(G3) 中山芝2000m 11頭立て 1着 2.02.9 中舘54
1994/10/23 ローズS(G2) 阪神芝2000m 15頭立て 1着 2.00.0 中舘55
1994/10/ 2 エリザベス女王杯(G1) 京都芝2400m 18頭立て 1着 2.24.3 中舘55
1994/12/25 有馬記念(G1) 中山芝2500m 13頭立て 2着 2.32.7 中舘53
1995/ 7/ 9 高松宮杯(G2) 中京芝2000m 12頭立て 5着 2.03.0 中舘57
1995/ 9/18 オールカマー(G2) 中山芝2200m 10頭立て 1着 2.16.3 中舘57
1995/10/ 8 京都大賞典(G2) 京都芝2400m 13頭立て 1着 2.25.3 中舘57
1995/11/26 ジャパンC(G1) 東京芝2400m 14頭立て 2着 2.24.8 中舘55
1995/12/24 有馬記念(G1) 中山芝2500m 12頭立て 5着 2.34.6 中舘55
1996/ 6/ 9 安田記念(G1) 東京芝1600m 17頭立て10着 1.33.9 中舘56
1996/11/10 エリザベス女王杯(G2) 京都芝2200m 16頭立て 7着 2.14.3 中舘56(2位入線降着)
1996/12/22 有馬記念(G1) 中山芝2500m 14頭立て 5着 2.35.0 河内54
同じ中野隆良厩舎であれば、1歳先輩のホクトベガの存在も忘れてはなりません。内国産馬だった彼女は、フラワーCを勝つとクラシック路線を歩み出しました。
この年は、ベガ,ユキノビジン,スターバレリーナと役者が揃っており、春はベガが二冠を達成しました。ホクトベガは桜花賞5着,オークス6着と善戦止まり。
秋になってもクイーンSではユキノビジンに、ローズSではスターバレリーナにそれぞれ完敗で、G1制覇の夢は潰えたかに思われました。
しかし、当時旧4歳牝馬限定戦だったエリザベス女王杯では、加藤騎手の内を突く好騎乗もあって見事に優勝。ベガの三冠を阻止し、「ベガはベガでもホクトベガ」の名ゼリフを残しました。
ところが、ここでG1を勝ったことによって、それ以降のレースで思い斤量がのし掛かってきました。夏の札幌で連勝しましたが、勝ちきれないレースが続き、陣営やファンをヤキモキさせました。
そこで気分転換に使ったのが地方交流レースのエンプレス杯。当時はまだ統一グレードもなく、牝馬限定戦に55kgで出走できることもあって川崎競馬場へ遠征することになりました。
当日は田んぼのような不良馬場でしたが、ここでホクトベガは18馬身差の圧勝。伝説に残るレースとなりました。
まだ交流レースが整備されていなかったこともあって、ホクトベガは再び芝路線に戻ってきましたが、やはり勝ちきれないレースが続きました。一時は障害レース転向も検討され、実際に練習もしたそうです。
ところが、再び川崎へ遠征すると、またもや強いレースを見せてくれたことから、本格的にダート路線を歩むことになりました。
まず、当時G2だったフェブラリーSを制すると、船橋,高崎,大井,川崎,盛岡,浦和に遠征し、いずれも完勝。
それまでダート最強馬と呼ばれていたライブリマウントも全く寄せ付けず、国内に敵がいなくなりました。
そこで打ち出されたプランが、創設されたばかりのドバイワールドCへの遠征。壮行レースとなった川崎記念を勝ってドバイへ向かった彼女を、日本のファンは大きな期待を持って見守っていました。
しかし、結果は残酷なものでした。レース中に左前腕節部複雑骨折を発症し、安楽死処分。ダート最高峰のレースが行われる地で、彼女は永遠の眠りに就いたのでした。
その後、彼女の功績が日本のダート路線を整備させたと言っても過言ではありません。中央・地方に統一グレードが設定され、フェブラリーSやジャパンCダートなどのG1レースが誕生しました。
そして、現在では多くの馬がダートで活躍しています。
ホクトベガ全成績
1993/ 1/ 5 4歳新馬 中山ダ1200m 16頭立て 1着 1.12.5 加藤和53
1993/ 1/16 朱竹賞(500) 中山ダ1800m 9頭立て 2着 1.52.4 加藤和53
1993/ 2/20 カトレア賞(500) 東京ダ1600m 16頭立て 1着 1.37.8 加藤和53
1993/ 3/20 フラワーC(G3) 中山芝1800m 14頭立て 1着 1.49.7 加藤和53
1993/ 4/11 桜花賞(G1) 阪神芝1600m 18頭立て 5着 1.37.7 加藤和55
1993/ 5/23 オークス(G1) 東京芝2400m 18頭立て 6着 2.28.2 加藤和55
1993/10/ 3 クイーンS(G3) 中山芝1800m 14頭立て 2着 2.02.6 加藤和54
1993/10/24 ローズS(G2) 阪神芝2000m 14頭立て 3着 2.00.7 加藤和55
1993/11/14 エリザベス女王杯(G1) 京都芝2400m 18頭立て 1着 2.24.9 加藤和55
1993/12/18 ターコイズS(OP) 中山芝1800m 9頭立て 3着 1.49.8 加藤和56
1994/ 1/15 平安S(G3) 阪神ダ1800m 16頭立て10着 1.54.3 加藤和54
1994/ 2/27 中山牝馬S(G3) 中山芝1800m 11頭立て 4着 1.48.3 加藤和56
1994/ 4/23 京王杯スプリングC(G2)東京芝1400m 16頭立て 5着 1.21.9 加藤和56
1994/ 6/12 札幌日経OP(OP) 札幌芝1800m 12頭立て 1着 1.47.2 加藤和55
1994/ 7/35 札幌記念(G3) 札幌芝2000m 13頭立て 1着 2.00.9 加藤和56
1994/ 8/21 函館記念(G3) 函館芝2000m 14頭立て 3着 2.02.1 加藤和55
1994/10/19 毎日王冠(G2) 東京芝1800m 11頭立て 9着 1.45.4 加藤和57
1994/11/13 富士S(OP) 東京芝1800m 11頭立て 6着 1.47.6 加藤和55
1994/12/18 阪神牝馬特別(G2) 阪神芝2000m 13頭立て 5着 2.01.2 加藤和57
1995/ 1/22 アメリカJCC(G2) 中山芝2200m 10頭立て 2着 2.14.5 加藤和56
1995/ 2/26 中山牝馬S(G3) 中山芝1800m 10頭立て 2着 1.49.5 加藤和57.5
1995/ 3/12 中山記念(G2) 中山芝1800m 12頭立て 8着 1.50.8 加藤和56
1995/ 4/22 京王杯スプリングC(G2)東京芝1400m 18頭立て 3着 1.21.5 横山典57
1995/ 5/14 安田記念(G1) 東京芝1600m 18頭立て 5着 1.33.5 横山典55
1995/ 6/13 エンプレス杯 川崎ダ2000m 7頭立て 1着 2.06.5 横山典55
1995/ 8/20 函館記念(G3) 函館芝2000m 16頭立て11着 2.03.5 的場56
1995/10/ 8 毎日王冠(G2) 東京芝1800m 14頭立て 7着 1.49.2 大塚57
1995/10/29 天皇賞・秋(G1) 東京芝2000m 16頭立て16着 2.00.2 横山典56
1995/11/19 福島記念(G3) 福島芝2000m 16頭立て 2着 2.01.9 中舘56
1995/12/17 阪神牝馬特別(G2) 阪神芝2000m 12頭立て 5着 2.00.8 中舘57
1996/ 1/24 川崎記念 川崎ダ2000m 12頭立て 1着 2.07.5 横山典53
1996/ 2/17 フェブラリーS(G2) 東京ダ1600m 15頭立て 1着 1.36.5 横山典57
1996/ 3/20 ダイオライト記念 船橋ダ2400m 8頭立て 1着 2.31.3 横山典53
1996/ 5/ 5 群馬記念 高崎ダ1500m 12頭立て 1着 1.33.6 横山典53
1996/ 6/19 帝王賞 大井ダ2000m 15頭立て 1着 2.04.2 横山典53
1996/ 7/15 エンプレス杯 川崎ダ2000m 6頭立て 1着 2.06.7 横山典56
1996/10/10 南部杯 盛岡ダ1600m 12頭立て 1着 1.38.8 的場53
1996/11/10 エリザベス女王杯(G1) 京都芝2200m 16頭立て 4着 2.14.4 的場56
1996/12/ 4 浦和記念 浦和ダ2000m 9頭立て 1着 2.05.5 横山典53
1996/12/22 有馬記念(G1) 中山芝2500m 14頭立て 9着 2.36.0 藤田54
1997/ 2/ 5 川崎記念 川崎ダ2000m 11頭立て 1着 2.06.7 横山典53
1997/ 4/ 3 ドバイワールドC ナドダ2000m 12頭立て中止 -.--.- 横山典55.5
ダート路線で活路を見いだした馬もいれば、短距離路線で活躍した馬もいました。ダイイチルビー,シンコウラブリイ,ニシノフラワー,ビリーヴ……。
定量戦では、牝馬は牡馬の2kg減で出走することができますが、瞬発力勝負の短距離戦の方が活躍しやすい傾向があるようです。
そこで、ここでは牝馬で初めて春秋マイルG1を連覇したノースフライトと、春秋スプリントG1を連覇したフラワーパークにスポットを当ててみます。
ノースフライトは虚弱体質でデビューが遅れましたが、桜花賞の翌週の未出走戦で9馬身差、2走目で8馬身差と圧勝します。
続く3戦目は熱発の影響もあって5着と敗れましたが、古馬混合重賞の府中牝馬Sを見事に勝利。最後の一冠であるエリザベス女王杯に駒を進めます。
ノースフライトはホクトベガと同期と言うことになりますが、2400mのここで2着に入り、実力を見せつけます。
その後の牝馬G3を連勝しましたが、特にマイルの京都牝馬特別(この年は馬場改修で阪神開催)で6馬身差の圧勝だったことから、マイル路線に駒を進めることになりました。
中京で行われたマイラーズCもマーベラスクラウンやネーハイシーザーらを寄せ付けない完勝で、安田記念に向かいました。
そこには、短距離王サクラバクシンオーや外国馬で前哨戦の京王杯スプリングCを勝ったスキーパラダイスなどの強敵がいました。
しかし、マイル適性の高いノースフライトは、最後の直線でもの凄い末脚を繰り出し、これらの牡馬強敵を差し切ったのでした。
秋になり、200m短いスワンSではサクラバクシンオーに譲ったものの、得意のマイルに戻ればノースフライトの方が一枚上手。
本番では見事サクラバクシンオーを交わし、春秋マイルG1連覇を達成したのでした。
高松宮杯(現・高松宮記念)が電撃の6ハロンG1となったのが1996年。その年に暮れのスプリンターズSと連覇を達成したのがフラワーパークです。
この馬のデビューはノースフライトよりもさらに遅く、旧4歳秋まで待たなければなりませんでした。
2戦目の未勝利戦で勝ち上がり、条件戦を5戦4勝でクリアすると、オープン特別の陽春Sに駒を進めました。ここで待っていたのが、この後何度も対戦することになるエイシンワシントンです。
エイシンワシントンセントウルS優勝の実績を引き下げてここに参戦してきました。最初の対戦は、エイシンワシントンに軍配。
フラワーパークは逃げたエイシンワシントンを捕まえることができませんでした。
次のシルクロードSでは旧3歳女王のヤマニンパラダイスや前年のスプリンターズSの覇者ヒシアケボノが参戦するなど、さらに相手が強化されましたが、ここで先行策に出たフラワーパークが見事に優勝。
エイシンワシントンは12着と敗れ、その後フレグモーネを発症して高松宮杯出走は叶いませんでした。
そして、いよいよG1に昇格した高松宮杯。ナリタブライアンの参戦に注目が集まりましたが、フラワーパークが前走勝利の勢いそのままに、G1初制覇。
初代チャンピオンホースとなったのでした。続く安田記念は距離が長かったのか、9着に敗退。
しばらく休養に入り、復帰したCBC賞で待っていたのが、またまたエイシンワシントンでした。ここでは、逃げたエイシンワシントンを捉えきれず、3/4馬身差の2着。
そして最終決戦のスプリンターズSを迎えます。レース展開はCBC賞と全く同じで、逃げるエイシンワシントンに、後ろをぴたっと追走するフラワーパーク。
最後の直線で2頭は壮絶なデットヒートの末、完全に馬体を合わせてゴール板に飛び込みました。10分以上の長い写真判定の結果、着順掲示板の一番上に表示されたのはフラワーパークの11番。
着差はたったの1cmでした。エイシンワシントンは悲願のG1制覇を成し遂げられず、この年で引退。
フラワーパークも燃え尽きてしまったのか、その次の年は活躍することができませんでした。それでも、春秋スプリントG1を連覇したフラワーパークの功績が色褪せることはないでしょう。
ノースフライト全成績
1993/ 5/ 1 4歳未出走 新潟芝1600m 14頭立て 1着 1.36.2 西園53
1993/ 7/25 足立山特別(500) 小倉芝1700m 12頭立て 1着 1.41.3 武豊53
1993/ 9/18 秋分特別(900) 阪神芝2000m 11頭立て 5着 2.03.0 武豊53
1993/10/17 府中牝馬S(G3) 東京芝1600m 16頭立て 1着 1.34.7 角田52
1993/11/14 エリザベス女王杯(G1) 京都芝2400m 18頭立て 2着 2.25.1 角田54
1993/12/19 阪神牝馬特別(G3) 阪神芝2000m 13頭立て 1着 2.02.8 武豊54
1994/ 1/30 京都牝馬特別(G3) 阪神芝1600m 13頭立て 1着 1.36.8 武豊54
1994/ 3/ 6 マイラーズC(G2) 中京芝1700m 11頭立て 1着 1.40.6 武豊55
1994/ 5/15 安田記念(G1) 東京芝1600m 16頭立て 1着 1.33.2 角田57
1994/10/29 スワンS(G2) 阪神芝1400m 18頭立て 2着 1.20.1 角田57
1994/11/20 マイルチャンピオンシップ(G1)京都芝1600m 14頭立て 1着 1.33.0 角田57
フラワーパーク全成績
1995/10/29 4歳未勝利 新潟芝1600m 17頭立て10着 1.37.1 村山53
1995/11/11 4歳未勝利 新潟芝1600m 18頭立て 1着 1.38.9 村山53
1995/12/ 3 恵那特別(500) 中京芝1200m 16頭立て 1着 1.08.8 村山53
1995/12/24 千種川特別(900) 阪神芝1400m 13頭立て 1着 1.21.9 村山52
1996/ 1/20 石清水S(1600) 京都芝1600m 16頭立て 3着 1.35.9 村山54
1996/ 2/24 うずしおS(1600) 阪神芝1400m 12頭立て 1着 1.21.0 村山54
1996/ 3/23 陽春S(OP) 中京芝1200m 14頭立て 2着 1.08.5 村山53
1996/ 4/28 シルクロードS(G3) 京都芝1200m 13頭立て 1着 1.07.6 田原54
1996/ 5/19 高松宮杯(G1) 中京芝1200m 13頭立て 1着 1.07.4 田原55
1996/ 6/ 9 安田記念(G1) 東京芝1600m 17頭立て 9着 1.33.8 田原56
1996/11/23 CBC賞(G2) 中京芝1200m 14頭立て 2着 1.07.4 田原57
1996/12/15 スプリンターズS(G1) 中山芝1200m 11頭立て 1着 1.08.8 田原55
1997/ 3/ 2 マイラーズC(G2) 阪神芝1600m 14頭立て 4着 1.35.3 田原57
1997/ 4/20 シルクロードS(G3) 京都芝1200m 16頭立て 4着 1.07.6 田原57
1997/ 5/18 高松宮杯(G1) 中京芝1200m 18頭立て 8着 1.08.9 田原55
1997/10/25 スワンS(G2) 京都芝1400m 16頭立て 6着 1.21.3 田原57
1997/11/22 CBC賞(G2) 中京芝1200m 15頭立て 4着 1.09.0 田原57
1997/12/14 スプリンターズS(G1) 中山芝1200m 16頭立て 4着 1.08.8 田原55
話は芝中・長距離路線に戻り、遂に和製ヒシアマゾンが現れました。トニービン産駒のエアグルーヴです。
阪神3歳牝馬Sでは伏兵のビワハイジに敗北を喫しましたが、チューリップ賞では返す刀で雪辱を果たしました。
続く桜花賞では1番人気が確実視されていましたが、直前に熱発してしまい回避。しかし、オークスでは本来の実力を発揮し、G1初制覇となりました。
秋華賞はぶっつけでの参戦となりましたが、パドックでのカメラのフラッシュで入れ込み、さらにレース中に骨折を発症してしまい、10着と大敗してしまいました。
次の年はマーメイドSから復帰。ここを圧勝すると、G2に昇格した札幌記念へ向かいました。ここでジェニュインやエリモシックなどのG1馬に快勝。この勝利で天皇賞(秋)への挑戦が決まりました。
天皇賞(秋)には、前年の覇者バブルガムフェローも参戦。最後の直線では2頭の一騎打ちとなりました。内で粘り込みを図るバブルガムフェローを外から追い詰めるエアグルーヴ。
首差抜け出したところがゴールでした。牝馬の天皇賞制覇は17年ぶりで、2000mに短縮されてからは初の快挙。続くジャパンCではピルサドスキーに首差届きませんでしたが、ここでも日本馬最先着を果たしました。
年末の有馬記念ではシルクジャスティス,マーベラスサンデーに次ぐ3着でしたが、26年ぶり牝馬の年度代表馬に選出されました。
次の年は宝塚記念を目標に調整が進められましたが、本番では成長著しいサイレンススズカの逃げ切りを許し、3着に敗れました。
秋はジャパンC制覇を目標に掲げ、G1であるエリザベス女王杯ですらステップレースとして使うローテーションで臨みました。
しかし、ここでも毎日王冠でサイレンススズカと激闘を繰り広げたエルコンドルパサーに届かず、前年に続く2着となりました。
結局、ハイライトはバブルガムフェローを破った天皇賞(春)のみということになりましたが、牝馬の活躍が難しい芝中・長距離路線でここまでの活躍をした内国産馬はいなかったと言えるでしょう。
また、繁殖に上がってからもG1馬アドマイヤグルーヴを輩出しており、親仔3代に渡ってG1制覇という快挙を成し遂げたのでした。
エアグルーヴ全成績
1995/ 7/ 8 3歳新馬 札幌芝1200m 9頭立て 2着 1.12.1 武豊53
1995/ 7/30 3歳新馬 札幌芝1200m 7頭立て 1着 1.12.0 武豊53
1995/10/29 いちょうS(OP) 京都芝1600m 11頭立て 1着 1.35.8 武豊53
1995/12/ 3 阪神3歳牝馬S(G1) 阪神芝1600m 11頭立て 2着 1.35.4 キネーン53
1996/ 3/ 2 チューリップ賞(G3) 阪神芝1600m 14頭立て 1着 1.34.2 ペリエ54
1996/ 5/26 オークス(G1) 東京芝2400m 18頭立て 1着 2.29.1 武豊55
1996/10/20 秋華賞(G1) 京都芝2000m 18頭立て10着 1.59.0 武豊55
1997/ 6/22 マーメイドS(G3) 阪神芝2000m 13頭立て 1着 2.02.6 武豊56
1997/ 8/17 札幌記念(G2) 札幌芝2000m 13頭立て 1着 2.00.2 武豊55
1997/10/26 天皇賞・秋(G1) 東京芝2000m 16頭立て 1着 1.59.0 武豊56
1997/11/23 ジャパンC(G1) 東京芝2400m 14頭立て 2着 2.25.8 武豊55
1997/12/21 有馬記念(G1) 中山芝2500m 16頭立て 3着 2.34.9 ペリエ55
1998/ 4/ 5 大阪杯(G2) 阪神芝2000m 9頭立て 1着 2.01.3 武豊57
1998/ 6/21 鳴尾記念(G2) 阪神芝2000m 14頭立て 2着 2.04.1 武豊57
1998/ 7/12 宝塚記念(G1) 阪神芝2200m 13頭立て 3着 2.12.1 武豊56
1998/ 8/23 札幌記念(G2) 札幌芝2000m 12頭立て 1着 1.59.5 武豊58
1998/11/15 エリザベス女王杯(G1)京都芝2200m 14頭立て 3着 2.13.1 横山典56
1998/11/29 ジャパンC(G1) 東京芝2400m 15頭立て 2着 2.26.3 横山典55
1998/12/27 有馬記念(G1) 中山芝2500m 16頭立て 5着 2.32.9 武豊54
その後、ヘヴンリーロマンスとスイープトウショウが、それぞれ天皇賞(秋),宝塚記念を制し、牝馬の時代の到来を予感させました。
そして、2007年。牝馬のウオッカが64年ぶりに日本ダービーを勝ち、その翌年には天皇賞(秋)を制覇。
そこで2cm差で敗れたダイワスカーレットが有馬記念を制し、名牝によるライバル対決が実現しました。
これからも強い牝馬が生まれるのでしょうか。それとも牡馬の巻き返しはあるのでしょうか。